首を吊るとなぜ死ぬのか
先日、オウム真理教の松本智津夫元死刑囚含め7人の死刑が執行されました。
このニュースを聞いたときは驚きました。事件当時、私はまだ生まれていなかったのですが、テレビなどでも頻繁に特集されていたことなので、概要は知っています。
今回の死刑執行により、一人でも多くの方の魂が救われるなら、執行した刑務官の方も労われることでしょう。本当にお疲れさまでした。
そして、二度とこのような事件を起こさせないためにもオウム真理教関わる一連の事件から目を背けることなくしっかりと考えていきたと思います。
さてさて、政治的なお話はここまで。
皆さんご存知、本ブログはなるべく生物や医療などと絡ませることが多いです。
よって今回は日本の死刑制度で採用されている、絞首刑について無駄話をします。
勘違い???
首吊りのシーンを思い浮かべて下さい。
と言われるとどんなシーンを思い浮かべますか。
恐らく、縄を手で押さえながらもがき苦しみビクンビクンなっている様を浮かべると思います。
しかし、これ自体は正しいですが、絞首刑となると正しくない。
どういうことってばよ。
まず普通の首吊りと絞首刑では、死に至るプロセスが大きく違います。
普通の首吊り
今あなたが首を吊るならどこで吊りますか。
天井のフックに縄をかけて椅子を蹴りますか。
その場合であると、首を吊った瞬間から、気道及び頸動脈・静脈が完全に狭窄されます。するとまず息ができません。最高に苦しいですね。
よって人間の生存本能により首にかかっているものを取り除こうとします。しかし、取れるはずありません。
そうこうしているうちに、脳への血流がも途絶え、そもそもの酸素も呼吸で取り込めないため、脳の活動が停止してきます。
そこであのビクンビクンです。脳の活動の麻痺ですね。
ここで縄をほどくことがができれば、後遺症の可能性がありますが、助かります。
何もしなければいずれ脳は完全に機能を停止し、死に至ります。
絞首刑
死刑の執行は家で自殺するように、むやみやたらに吊っているわけではありません。
死刑囚に最後まで苦しんで死んでもらうというような、非人道的なことは国家はしません。良いか悪いかは置いといて死刑囚であろうと最大限人権は尊重されます。
絞首刑のシステムですが。
普通の首吊りと最大限異なっていることは高さです。
絞首刑では家で吊るような高さとは違い、2mほど落下して首を吊られます。
2mってたいしたことなくね?って
いえいえ、2mは圧倒的な高さです。
2mの自由落下と脊椎へのダメージ
自由落下
ここで2mの自由落下について考えてみましょう。
重力加速度を9.8 m/s²、落下距離を2mで考えた場合、首が吊られる直前の人体のスピードは約6.2 m/sです。時速換算すると22.3 km/hです。
さらに、人間の体重を60 kgとし、制動距離を0.8 mであると仮定すると、落下時、首にかかる重量は約2900 kgfとなります。
実際には空気抵抗やロープと皮膚との接触面積などを考慮すると、計算よりは減少すると考えらますが、それでも2t程度の衝撃は避けられないと言えるでしょう。
頸椎損傷
先ほど述べた通り、ロープ一本首に括られた状態で2tの衝撃が加わるとすると頸椎に多大な損傷が起こります。
頸椎脱臼は必然、さらに脊髄にも甚大な損傷が起こるでしょう。
脊髄は人間の中心を通る神経であり、これに損傷が起こると一瞬にして失神に至るでしょう。
あとは、普通の首つりと同じで、気管及び血管が閉塞し死に至ります。
死刑について
以上のように絞首刑で受刑者がなるべく苦しまないように設計されています。しかし、死ぬ瞬間など誰も味わったことはなく、すべて仮説であることは確かでしょう。
遺族からすれば、なんで苦しまずに命を絶つのかという気持ちもあると思います。しかし、今や我々は高度な文明人です。国家が国民を惨殺することなど到底できません。
ただ、これも自分の身に降りかかっていないから言えることなんだろうと思います。自分の大事な人が殺されたらきっと思うでしょう。
「こんな人間のどこが高度且つ文化的で賢い生き物なんだろう、なんでこのような愚かな法律ができたのだろう」
白昼堂々さらし首にした方がよっぽど人間らしく健全であるというのにも一理あると私は思います。
では。